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- 文化財
- 略史
- 境内のご案内
金花山宝泉寺について
起こり
当山の歴史は古く、平安末期の傑僧文覚上人(1139)に依る開創と伝承されています。当時、弘法大師が真言密教の根本道場とされた古刹神護寺(京都市高雄)は、荒廃の極みにあって「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」と云う状況となっていました。
文覚上人は直ちに神護寺の再興を発願され勧進僧として歩みますがその道、非常に厳しく、都度三度に亘る流罪に処せられます。しかし後白河上皇や源頼朝の助縁を得て神護寺の再興にその半生をかけ成し遂げられたのであります。
この当時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院がありましたが、この寺院こそ後日、文覚上人による当山創建の伝承の源となったお寺であります。
宝泉院から宝泉寺へ
南北朝時代の延文元年(1356)心蓮上人はこの塔頭寺院であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏の本尊として寺号を宝泉寺と改め開山されました。以来、宝泉寺が病気平癒に格別の霊験のあるお寺として、人々の信仰を集めております。
永い歴史を有する当山は、平安時代~鎌倉時代の古写大般若経を始め、甚だ珍重すべき什物など優品が保管されています。
現在
毎年7月の土用の日は宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われています。当山は、四季折々の風光に恵まれて信仰と癒しの場として親しまれており、特に4月の桜は見事で天を突く巨大な「京紅しだれ桜」は圧巻です。
宝泉寺は、真言宗総本山仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じて地域に広く貢献しています。
金花山宝泉寺概略
宗旨:古義真言宗 御室派
総本山:御室 仁和寺(世界遺産)
本尊:十一面観世音菩薩
開基:延久元年(1069年)初代開基第1世 心蓮上人
総本山 仁和寺(世界遺産)
総本山 仁和寺について
仁和寺(にんなじ)は、京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院です。山号を大内山と称します。本尊は阿弥陀如来、開基は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されております。皇室ともゆかりの深い寺で、出家後の宇多法皇が住したことから「御室御所」と称されました。
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文化財(彫刻)
十一面観世音菩薩像【本尊・秘仏】
十一面観世音菩薩は密教系の尊格であります。密教の伝来とともに奈良時代から信仰を集め、病気治癒などの現世利益を祈願して十一面観音像が多く祀られました。救済の観点からも千手観音と並んで観世音菩薩の変化身の中では信仰の多い菩薩さまです。
躰数:1躰
材質:木造
制作時期:年代不詳
阿弥陀如来坐像
躰数:1躰
材質:木造
制作時期:平安時代
不動明王坐像
躰数:1躰
材質:木造
制作時期:江戸時代
文化財(絵画)
絹本著色 釈迦十六善神像
幅数:1幅
制作時期:室町時代
文化財(教典)
版本 大般若経
制作時期:平安~室町時代
【その他の文化財】
彫刻
木造 ニ天王<多聞天・増長天>立像 2躰(制作時期:平安時代)
木造 弘法大師坐像 1躰(制作時期:江戸時代)
絵画
絹本著色 天台大師像(制作時期:鎌倉時代)
教典
五部大乗経(制作時期:南北朝時代)
略史
事項
往古の開基は後三条天皇の時とあるも願主不詳
泰親家の発願により大般若経書写され大和真楽寺に納められる
経箱60個新調される(40個現存)
高雄山神護寺の心蓮上人下熊田に宝泉寺開基。同時に、阿弥陀如来像を来持、天雅神社境内に安置されたという。五部大乗経辛櫃蓋裏に延文元年8月云々とあり、その頃神護寺宝泉寺の所有
大般若経補写
この間に大般若経下熊田へ移る(天雅神社?)
大般若経修復(別当祐慶)
大般若経紐付替(南之坊別当慶嚴)
大般若経虫振い(慶嚴)
大般若経虫振い(二夜三日)
大般若経12巻盗難にあう
盗難分の補写を行う
辛櫃墨書に五部大乗経別当慶嚴云々とありそれまで下熊田成願寺所有となっていた
大般若経虫振り
大般若経番付
大般若経66巻不足現在に至る
虫振りを行い大般若のしらべをする
大般若経不足相改帳下熊田村中寺社奉行への報告
寺社奉行への報告、天雅神社に三間四方の阿弥陀堂あり
神仏分離令により大般若経 阿弥陀如来坐像宝泉寺に移る
旧阿弥陀堂改修の棟札があった
密厳寺廃寺となり不動尊仏具等宝泉寺へ移る
大慈殿(阿弥陀堂)完成
境内のご案内
・金花山宝泉寺の境内
金花山宝泉寺では、本堂・庫裡、大慈殿(阿弥陀堂)、護摩堂(不動堂)などの建物や名物の「京紅しだれ桜」をはじめとした大小約20本の桜の木、四季折々の草花を見ることができます。