金花山宝泉寺の法事・行事
内容
元旦に檀家の戸主がお年玉を持ち、住職と年賀の挨拶を交し、寺よりみかんとのしこんぶをお渡しする元旦の行事である。あと、客殿に用意された三種の肴の高膳に向い檀家一同の健康と繁栄を祈って乾杯をし新年を祝う。
正月三日、檀家の家を廻りかまどの神を祀る三宝荒神に新しい御幣を奉り今年の無事とかまどに感謝をする。
春の七草粥を仏壇に供える日である。このころの七草はちょうど雪の下にうずもれている。雪を起こし、せり、なずなを探し水菜、かぶら菜、大根もそえ七草に見立てて煮るのも新鮮で新春らしい風情がある。
護摩堂の不動明王を本尊とし、壇をととのえ護摩木を焚いて三毒の煩悩を切り払う年の始めの護摩祈祷会である。宝泉寺の初祈祷には、交通安全、事業繁栄、家内安全など檀家のみならず全国の祈祷申込の初祈祷の行事で、北向の不動さんで行っている。同じく本堂に於いては、大般若経の転読と加持祈祷も行う正月行事である。
二月初めの節分行事で星供曼荼羅を本尊とし、人の運勢をつかさどる北斗七星、九曜星、二十八宿を供養し厄災、延命・増運などを祈願して星供札と節分の豆を参拝者に授与する行事である。
釈迦如来の命日である三月十五日は涅般図をかかげ、はなくそ(おかきにねり砂糖をからめた菓子)を作りお供えをし、お釈迦さんの徳をたたえる日である。
境内のしだれ桜が満開となる。郷土食や野菜の販売も予定。(拝観無料)
※四国八十八ヶ所霊場お砂ふみ巡拝同時開催
新月五月八日に釈尊の降誕を祝う花祭りである。花で飾った御堂(花御堂)に釈迦誕生佛をお祀りして、新鮮な甘茶をそそぎ、ご誕生を祝う行事である。古くは平安時代より宮中でも行われたと言われている。ちなみに甘茶の木は現在宝泉寺の防火用水そばにあり、初夏になると甘茶の若芽を摘み手製の甘茶を作っている。また、その日はしきび、さか木、つつじ等の季節の花を束ね、長い竹の先に結び空高く天道(てんとう)様にお供えし天地の恵みに感謝するものである。
六月十五日弘法大師の誕生会である。
お砂踏みは、本堂に特設された四国八十八ヶ所の寺々を巡拝し本四国八十八ヶ所にお参りするのと同じ法悦に浸りながら八十八ヶ所の功徳を受ける有難い行事である。
七月土用の入の日、村中に侵入する害虫や疫病、災難などを防ぐ行事である。祈祷札を竹笹の先端に結び付け集落の出入口に立て住職がお経を唱えるのである。古く江戸時代より伝えられている宝泉寺の行事で現在座頭谷入口、卯滝口、明石口の三ヶ所の関所で行われている。
土用入の日より三日目に行う大般若経の虫干し行事である。主として禰宜の仕事として大般若行事はすすめられ、早朝より大きな辛櫃が宝蔵より運び出され、本堂一杯に並べられた経箱に土用の風を入れる行事なのである。この行事は五百年以上続けられて今日に至る記録が残っている。午後から十六善神を本尊とし大般若経の転読を行った後、参詣者に加持祈祷を行うのである。
盆の八月十五日に先祖を初め、一切万霊を供養する法会である。組み立てた施餓鬼棚の四すみと正面に笹竹に結ばれた五色の幡を配し、日頃供養を受けることの出来ない無縁の精霊も供養する日である。そうめん、果物、だんごなど蓮の葉に盛り沢山に並べ施餓鬼棚に供える。五色の幡は、青(無量寿如来)黄(開敷華王如来)赤(阿如来)白(大日如来)黒(天鼓雷音如来)の仏を意味している。
八月二十三日の夕方から行われる地蔵尊の法会である。毎年盆になると、水子霊場で行われる水子供養会と、子供達を中心とした行事を行う子安の地蔵さんの両方がそれぞれの地蔵尊の前で行われる。水子霊場においては、各家の水子の石仏に各自新しいよだれかけに取りかえたり、赤い風車がくるくると廻って子供のやすらかな成仏を祈る母親達の情愛あふれる光景が見られる。住職に回向の後に、そうめんの接待がされる。この行事で盆が終わり、夏の季節が過ぎていくのである。近頃は、子供の子安地蔵盆も公民館の都合で殆ど土曜の夜が多くなって子供達も宿題を忘れて、打ち上げ花火・金魚すくい・当てものなどに興じ子供たちにとっては楽しい地蔵盆の夜をにぎやかに過ごすのである。
宝泉寺の彼岸会は、観音講と詠歌があり、にぎやかなものであった。近年では観音講も途絶えてしまい、淋しい彼岸参りとなっている。
旧暦旧暦十月十二日の夜、以前迄は何十年目かに一回各家に会所が廻ってきた。住職が当家のご祈祷の読経を唱じた後、日の出を待って天道様に感謝をする行事である。会所となった家は、会食をしながら日の出を待つ人々のために食膳を用意したが、この行事は寺で一括して行う。日の出を待つことも食膳を用意することもなくなってお供物などの当番に各町内があたることになっている。 寺では昔ながらの版木によるお守りがくばられるのである。
秋に収穫した新米を檀家から初穂として先祖にお供えをする日である。この日は寺の総代が受領することになっているが、以前は玄米の現物納入であったことから、現物を計量器ではかることがあったが米の納入も時代と共に移り変わり現在は現金納入である。斉米料は戒名によってまちまちであるが、時価の米一升分の価格を基準に定められたもので、宝泉寺は一戸につき七升分から一石の家まである。